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C-DEC NEWS 特別対談/職人・アーティスト編

デザインの世界で生きていくために必要なこととは?
職人として、アーティストとして、自分の世界を確立しているお二人に、デザインの世界でオンリーワンをめざすために今何を学ぶべきかを、それぞれの経験などをベースにお話しいただきました。平田 70年代の日本は、ジーンズだけでなくいろいろなものがアメリカのコピーに一生懸命だった。大学を卒業した僕は、空手のインストラクターとしてアメリカをやっつけに行ったのに、帰国した日本はそんな状態。そこでアメリカ人をやっつけるようなジーンズを作ってやろうと思ったんです。それからずっと試行錯誤してやってきて、今度は世界の連中とどう戦うか考えているところです。
廣中 イラストレーションはエンターテイメント。エンターテイメントというのは、第三者を意識しながら、ものごとのマイナス部分をなくして、思いきり人に尽くすこと。産業的な絵が媒体に載ることは、クライアントのポジティブな気持ちと自分の絵が一つになって、出会って見せることのない人に伝えられる幸せなことなんです。だから、エンターテイメントにおける社交性など、いろいろな能力をもっと磨かなくてはと思っています。
平田 会社には企画・生産・販売とあります。そこではそれぞれの役割があり、生産する僕はいわば黒子で、顧客と直接接触する店のスタッフは道化師。黒子は目立たず一生腰命作ったものを買ってもらうんだけど、僕はそんな黒子がいい。そんな僕の居場所は工場なんです。休日にすることがなくても、縫い場にいると安心する。それは絵を描く人が、何も描かなくてもアトリエでぽうっとしているだけで落ち着くようなものかな。
廣中 私は夫の仕事の関係で、2004年に鎌倉と岡山2か所での生活を始めました。ずっと東京の仕事を中心にしているので、距離が離れていて、TVや新聞で東京のCMが見られなかったりしたら、自分が遅れてしまうのではと最初は不安でした。ところが、岡山は家賃が安く、広いアトリエ環境もあり、自分を静かに深く掘り下げていくには、ちょうどいい。情報はインターネットでも調べられる部分もあり、自分がその気でしっかりすればいいんだとわかって。逆に、情報だけに依存しないもの作りもできるようになりました。東京とのズレも面白がれるようになったし。平田さんが言われるように、人を意識せずにものを作るという黒子の部分と、人と接する道化師的な面の両方を上手に切り替えられるようになりました。
小林 デザインするという観点で、東京と岡山の遣いはどんなところですか。
廣中 東京と岡山ではものの距離の取り方が遣います。たとえば道を歩くにしても、東京では他者との距離感を常に計って、パーソナルな空間を意識していますが、岡山は境界が曖昧で平気でぷつかってくる。
平田 たしかに、ヒルズに比べると、倉敷美観地区は無作為に人が動いています。都会では「他人の領域に入らない」のがルールですね。だから、歩く感覚一つでも遣う。
廣中 距離感が遣うと、表現の仕方も遣ってきます。たとえば広告表現だと、東京に比べると岡山はベタ。東京の人にはそれが恥ずかしかったり、逆に大胆に思えたりします。今、鎌倉と岡山を行ったり来たりしていますが、そうすることによって何気なく感じていたことが理解できました。同じ時代を生きている同じ日本人なのに違う、その距離感による表現の遣いを題材に、個人的な作品も作ってみたいと思っています。
小林 人とものとの距離感で、都市やコミュニティの人間像が出るんですね。
廣中 中央に比べて地方が遅れているというのでなく、ある地方が似ているというのはこの距離感の取り方が同じだからなんです。グローバルに見ると、東京はニューヨークやパリと同質。言葉は通じなくても都市は似ています。広告やイラストを売るためには、その距離感に気付き、学ぶことが一番大事なんです。そういうことを理解しないで、デザイン的な仕事をすると、感覚の違う人には受け入れられないかも?
小林 技術は優れているので作品はいいのだけれど、感覚でズレるということはよくあります。都会と地方で学ぶことの違いは、世の中で共有されるものから何を身に付けるかを学生が意識しているかどうかという点ですね。情報の不足や過剰を中和するには、自分が勉強するしかないんですね。
廣中 いっぽうで私が岡山の講評会で驚いたのは、東京とか岡山とかに関係なく、すごい作品があったことなんです。アウトサイダー的にぽこっと出たものかなと思うんですが、そんなふうに何があっても負けない強いものがあればいいのかな。
平田 それはジーンズも同じですね。日本全国で生産されている中で、なぜ児島のような地方の一都市がこれほどになったのか。昔からの繊維業の土壌があったにしても、ジーンズ製造に関しては最初は何もありませんでした。それが一つが生まれることによって、自然に勢いづいた。地方だからとか関係ないんです。
小林 岡山にはそういうのは結構ありますね。お二人には本校で教えていただいたり、卒業生を受け入れていただいたりしていますが、本校の学生がより努力するペき点はどこでしょうか。
平田 たとえばデニムの学生ですが、勉強する分野が狭くて、服の基礎がわかっていません。アメリカでワークウエアとして生まれたジーンズが、なぜ日本で花開いたかというと、カジュアルウエアの1アイテムと捉えたからなんです。ジーンズだけを突き詰めると、もとのワークになってしまう。ファッションとして捉えるには、もっとファッションを勉強しないといけません。学校は教材があっての競争だけど、社会に出ると教材はありません。自分で教材を作っていかないといけないのに、そうするには中国デザインの学生はまだ力強さが不足していて、線が細い。
廣中 私も、学生は他者やはかのものをもっと把握する必要を感じます。映画でも建築でも音楽でもサブカルチャーでも、ちょっとその気になれば自然に入ってくること、知らないとまずいと思うことを13項目書き出す宿題を出したんですが…結果、興味の幅の薄さを実感しました。こぢんまりした世界で、うまくこれだけできましたと言っても意味はないんです。自分なりの視点や考え方を持って、範囲を広げていかないと。もっと動きましょう!
平田 何かを突き詰めていくと必ず壁にぷち当たる時があります。企業だって同じことをしていると衰退します。そんな時は一回めちゃくちゃになって、再生するんです。ぷつかったところで何かを感じる、すると次の方向へ行くことができるし、失敗することによって必ず成功が導き出される。僕は社員が迷っている時、既存のものを壊してみろと言います。壊して新しいものを再生する能力が大事なんです。
小林 入学時と卒業時でめざす方向の変わる学生がいます。3年間に自分はこれでいいのかと一度は思い、それがうまく来た学生は自分の適正を見極めて変化しますね。ただ、人材を育成する立場としては、こうしろと強要することはできません。迷っている学生には、あれこれとヒントを提示して揺さぶってやる。自分の道は結局自分で決めるしかないと気づくことが大事なんですね。貴重なアドバイスをありがとうございました。
平田 俊清(ひらた としきよ)有限会社キャピタル代表取締役
1970年大学卒業後、渡米して空手の普及活動に励む。1974年から倉敷市児島にてジーンズメーカーに勤務。「売れるものではなく、自分の思いを表現したもの、自分がいいと思うものを作りたい」と1984年に独立し、1986年キャピタル設立。現在では、全国に12店舗をかまえ、六本木ヒルズにも出店。「リッチよりもハッピーなハートが伝わるモノづくり」をポリシーにジーンズの企画・製造・専門小売を手がけ、全国的に支持されるジーンズ界の巨匠。

イラストレーター・画家
多摩美術大学絵画科油画専攻卒業。スケッチブックに描いた絵が「ラフォーレ原宿」雑誌広告に起用され、以後イラストレーターとして雑誌・広告・書籍・CDジャケットなどを辛がけるほか、撮影背景・壁画なども制作する。カリブ15の島のスケッチCD-ROM作品集『舟あそぴ』(東芝EMl)ほか。東京イラストレーターズ・ソサイエティ会員。
※国内外にて制作展示。2008年5月奈義町現代美術館にて個展予定。5月11日(日)-6月15日(日)月曜休 URL http://homepage.mac.com/Pinecco/illustration
小林 照尚(こばやし てるなお)中国デザイン専門学校校長・造形作家
養護学校、中学校の教諭を経て、1992年から中国デザイン専門学校で教鞭をとる。1999年より現職。2004年からは、島根デザイン寺門学校(姉妹校)の校長も兼務。専門は彫刻。作家としても岡山を中心に作品を積極的に発表。仙台市・神戸市・新潟市等に作品を設定。個展・グループ展参加の他、若手作家の育成・発掘や紹介、海外のシンポジウムヘの参加等と、多方面で活発に活動中である。













